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チャキのギターとギブソンDove|高1の冬、サウナのバイト代5万円で買った

高校の文化祭で茶木W-3を弾いているところ。サウンドホールにChakiのロゴ、指板には平行四辺形のポジションマーク。奥にドラムセットとシンバル

50年分のギターを1本ずつ書いています。2本目は、自分で稼いだ金で買った、最初のギターです。

1本目のヤマハFG-130は、中学生のときに親に買ってもらったものでした。その1年半後の話になります。

目次

高校1年の冬、サウナでアルバイトをしました

高校に入って、1年生の冬。サウナでアルバイトをしました。

仕事の中身は、いま思い出してもはっきりしています。バスタオル、タオル、それからサウナ用のパンツ。お客さんが使ったものを洗って、乾燥機から出てきたのを、ひたすらたたむ。それが私の持ち場でした。

高校生がやる仕事としては、地味です。華やかなところは何もありません。乾燥機の前で、熱いタオルをたたみ続ける。

場所はニュージャパンでした。大阪のサウナです。当時は、ああいうところが街にいくつもありました。

時給がいくらだったかは、もう覚えていません。ただ、高校生が5万円貯めるまで通ったということは、それなりの期間だったはずです。冬のあいだ、ずっと乾燥機の前にいたことになります。

それで貯めたのが5万円でした。

おふくろに、えらい怒られました

その5万円を、私はギターに全部つぎ込みました。1円も残さずに。

そうしたら、おふくろにえらい怒られたのです。

電車賃や昼ごはん代もらっときながら、1円も返さんのかいって。

言われてみれば、そのとおりです。バイトに行くのにも電車賃はかかるし、昼ごはんも食べる。それは家から出ていた。稼いだ金は全部ギターで、家には1円も入れていない。

50年たっても、この小言だけは覚えています。ギターを買ったうれしさより、怒られたことのほうが、なぜか鮮明です。

谷村新司のギターが、ギブソンのDoveでした

なぜ茶木(チャキ)だったのか。理由ははっきりしています。

当時、アリスの谷村新司さんが大好きでした。そして谷村新司さんのギターが、ギブソンのDoveだったのです。ピックガードに鳩が彫ってある、あのギターです。トップはナチュラル。サイドとバックはメイプルなのですが、茶色ではなく、赤っぽく見える塗装がしてあります。

あれが欲しかった。

ただ、当時のDoveは30万円くらいしたはずです。高校生が出せる金額ではありません。5万円とは桁が違う。

そこで選んだのが、茶木のW-3でした。

Gibson Dove とは、どういうギターか

いま調べ直すと、Gibson Dove は1962年に出たギターでした。

  • ピックガードに鳩(Dove)の象嵌。名前はここから
  • いかり肩のスクエアショルダー
  • トップはスプルース単板でナチュラル仕上げ
  • サイドとバックはフレイムメイプル単板。ただし赤っぽく見える塗装がしてある
  • スケールは25 1/2インチ(ハミングバードより少し長い)

メイプルなので、明るくて立ち上がりの早い音がします。マホガニーやローズウッドのギターとは、鳴り方がまるで違います。

そして私が買った茶木W-3は、サイドとバックがローズウッドでした。材からして、まったく別のギターです。

それでも、ピックガードだけは鳩にした。当時の自分にとって、Doveらしさとはあの鳩だったのだと思います。

いまのDoveは、55万円します

ちなみに、いまDoveを買おうとするといくらか。

現行の「Dove Original」で、55万円ほどです。高校生の私が「30万円は無理だ」とあきらめたギターは、いまはもっと遠くなっています

もうひとつ知ったことがあります。Doveは1962年に出たものの、当時の生産規模はとても小さかったのだそうです。スクエアショルダーのハミングバードが好調だったので続けて出した、という経緯らしい。

いまのモデルの説明書きには、「手作業によるペイント作業」と書いてあります。あの赤みは、機械で塗ったものではないわけです。

お手本は J-50 ギブソンの定番モデルでした

茶木のW-3は、もともとJ-50のコピーモデルでした。Doveではありません。

J-50ギブソンが1946年に出したギターで、あのJ-45と中身は同じです。違うのは仕上げの色だけ。J-45のナチュラル版がJ-50、と思えばだいたい合っています。

もともとは丸い肩(ラウンドショルダー)でしたが、1970年代にはマーチンのDシリーズに押されて、いかり肩に変わっていきました。私が買った頃は、ちょうどその時期です。

つまり私のギターは、J-50のかたちに、Doveの顔を付けたものでした。中身はJ-50、顔はDove、材はローズウッド。どこにも本物はいません。

じつは、指板も同じでした

あとから気づいたことがあります。

指板のポジションマーク。あの「//」のような、平行四辺形のやつです。

あれはJ-45もJ-50も、Doveも、ハミングバードも、みんな同じなのです。ギブソンのこのあたりの機種は、指板の飾りを共通にしてあります。

ということは、J-50のコピーだった私のW-3も、指板はもともとDoveと同じ形だったわけです。

そこに鳩のピックガードを付けた。正面から見れば、けっこうDoveに見えたはずです。材も肩の形も違うのに、顔と指板だけは合っている。

高校生の私が、どこまで分かってやっていたのかは覚えていません。ただ、寄せどころは間違っていなかったようです。

その鳩を、すぐに剥がしました

ところが、です。

そこまでして付けた鳩のピックガードを、私はすぐに剥がしました。

理由は、はっきりしています。

安物を本物に見せようとする根性が、いやになった。

貼ってみて、しばらく弾いて、それで気がついたのだと思います。これは、Doveのふりをしているだけだと。

5万円を全部つぎ込んで買ったギターです。さらに何千円か出して、鳩を買って、自分で貼った。その全部を、自分で否定したことになります。

代わりに貼ったのが、マーチンタイプのピックガードでした。黒くて、細長い、飾りのないやつです。

鳩をやめて、無地にした。

この「すぐ」がどのくらいだったのか、証拠が残っています。

高校の文化祭で、このW-3を弾いている写真があるのです。

高校の文化祭で茶木W-3を弾いているところ。サウンドホールにChakiのロゴ、指板には平行四辺形のポジションマーク。奥にドラムセットとシンバル
高校の文化祭。弾いているのが茶木のW-3です(顔はモザイクにしています)

この写真を見ると、もう鳩ではありません。

サウンドホールのまわりに、Chakiのロゴが入ったシールが見えます。そして指板には、例の平行四辺形のポジションマーク。J-50のコピーであることが、ちゃんと写っています。

奥にはドラムセットとシンバル。マイクスタンドが何本も立っています。バンドで出ていたときのものです。

ちなみに、この写真を見つけたときに私が書いた感想は、これでした。

しかし、髪の毛が豊富やなぁ(笑)

買ったのが高校1年の冬。文化祭で弾いたのは、そのあとです。つまり、鳩が貼ってあった期間は、ほんの数か月だったことになります。

たぶん、ここが分かれ目でした

いま50年ぶんを振り返って書いていて、ここが分かれ目だったのではないかと思います。

高校生のときに、「似せる」のをやめた

そのあと私は、本物を買うほうへ進みました。34歳でマーチンのD-28。そのあとルシアーの作ったギター。何十万、何百万と出しています。そのたびに買ったのは、誰かに似せたものではなく、そのものでした。

もちろん、当時の私がそこまで考えていたはずはありません。ただ「いやになった」だけです。

それでも、高校1年の冬に貼って、すぐ剥がした鳩のピックガード。あれが最初の分かれ目だったような気がしています。

そこで、Doveタイプのピックガード——鳩が入っているあれです——を付けることにしました。

ギターはピックガードなしの状態で届きました。そこに、別に買った鳩のピックガードを貼ったのです。

ピックガードだけで何千円かしました。5万円を使い切ったあとに、さらに何千円です。

5万円のギターに、30万円のギターの顔を付ける。高校生の考えることです。

このギターを担いで、部室に通っていました

高校の軽音楽部の同期
高校の軽音楽部の同期。目元はぼかさせてもらいました

高校の軽音楽部の同期です。このW-3を担いで通っていたのが、この部室でした。

シンバル、アンプ、そして床に投げ出されたケーブルの山。長髪、襟の大きなシャツ、裾の広がったパンツ。1970年代の高校生が、そのまま写っています。

この中でバンドをいくつか組んでいました。バンド名はありません。そういう時代です。

無骨で、荒っぽくて、頑丈なギターでした

実際に手にした茶木のW-3は、こういうギターでした。

  • トップが分厚い
  • 指板やヘッドの貝の細工が、無骨で荒々しい
  • サイドとバックはローズウッド
  • とにかく頑丈で、重い

繊細さとは無縁です。貝のインレイも、いまの目で見れば作りが粗い。でも、そこが良かった。

茶木というメーカーは、いまでこそ知る人ぞ知るという扱いですが、当時は「国産のちゃんとしたギター」という位置づけでした。輸入物には手が届かないけれど、安物ではない。そのあたりに置かれていたブランドです。

高校生が5万円を出すのは、それなりの決心でした。その決心に見合うだけの物ではあったと思います。

そして、ストローク主体の弾き方には、よく合っていました。当時はアリスやかぐや姫を弾いていたので、かき鳴らす曲ばかりです。分厚いトップをガシガシ鳴らす。あれはあれで、ちゃんと音になっていました。

このギターが、ずいぶん長いこと、私の唯一のギターでした。

あとで気づいた、重さの意味

この「頑丈で重い」が、あとになって効いてきます。

34歳のときに、初めてマーチンのD-28を買いました。憧れのマーチンです。ドレッドノート、つまり戦艦という名前のとおり、さぞかし堂々としたものだろうと思っていました。

ところが、持った瞬間に「軽い」と思ったのです。拍子抜けしました。

いま考えると、茶木のあの重さに、体が慣れてしまっていたのだと思います。最初の1本で身についた基準は、20年たっても抜けていませんでした。

ニフティの掲示板で売りました

このギターは、最終的にニフティの掲示板で売りました。

ヤフオクではありません。パソコン通信の時代です。ニフティサーブのフォーラムに、売り買いの掲示板がありました。

いつ売ったのかは、はっきり覚えていません。ニフティサーブが始まったのが1987年なので、それより後であることだけは確かです。ということは、少なくとも10年以上は持っていたことになります。

いくらで売れたのかも覚えていません。

じつは最初、「ヤフオクだったかな」と思い出しかけました。でも年代が合いません。ヤフオクが始まるのは1999年です。それより前に手放していたなら、ニフティしかない。

記憶というのは、こんなふうに順番が入れ替わります。売った場所は覚えているのに、いつ売ったかは出てこない。

5万円のギターが残したもの

いま振り返ると、このギターは私にいくつかのことを残しました。

ひとつは、寄せるのをやめたということ。鳩を貼って、すぐ剥がした。あれ以来、似せたギターを買ったことはありません。

もうひとつは、重さの基準。20年後にマーチンを「軽い」と感じたのは、この1本のせいです。

そして、自分で稼いだ金で買うという感覚。13,000円のFG-130は買ってもらったものでしたが、これは全額自分で出しました。だから、売った場所まで覚えているのだと思います。買ってもらったFG-130は、いつどうなったのか、いまも思い出せないままです。

次は、この茶木を弾いていた高校時代のことを書きます。ラジオに出たり、文化祭で弾いたりしていた頃の話です。


この話の続き|ギター遍歴の年表

中学でラジオを聴いていた頃から、いまギターを弾いているところまで、年代順に書いています。

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